こんにちは、素人哲学者 ミルマノ(@_mirumano_)です。
この記事では、「コペルニクス的展開」という言葉の意味を
死ぬほどわかりやすく解説しています。
Contents
コペルニクス的転回の意味とは
この言葉はカントという哲学者が作り出した言葉です。
ただ、カントが作り出した「コペルニクス的転回」には
2つの意味があります。
これから二つとも紹介するのですが、
「コペルニクス」って単語をそもそも知らないって方も多いと思いますので
そちらから解説していきます。
そもそもコペルニクスって何?
コペルニクスは15世紀に活躍した天文学者の名前です。
彼は15世紀まで信じられていた
「地球を中心にして太陽や惑星が回っている」
という「天動説」に対して
「それはちゃう、
太陽を中心にして地球や惑星が回っているんや!!」
という「地動説」を主張した人です。
ということで、まずはコペルニクスが「地動説」を唱えた
天文学者だということを覚えておいてください。
では、ここから「コペルニクス的展開」の2つの意味を紹介していきます。
コペルニクス的転回の意味①
では、まず一つ目の意味から。
コペルニクス的転回の一つ目の意味は
「見方や考え方などが180度変わることの比喩」
です。
カントは15世紀まで信じられてきた天動説とは全く反対の
地動説が生まれたを「コペルニクス的転回」と表現したわけです。
これは、イメージもつきますし簡単ですよね。
コペルニクス的転回の意味②
カントが「コペルニクス的転回」という言葉を作った
本当の目的は二つ目の方です。
「なぜ二つも意味があるのか?」という問題ですが、
ことわざを思い浮かべてみてください。
例えば、「仏の顔も三度まで」
というのは「仏が3回目に怒った」という実際のエピソードから
「優しい人も3回目には怒る」という意味を示していますよね。
さっき紹介コペルニクス的転回の意味は
「優しい人も3回目は怒る」という広い意味に当たるもので
これから紹介する2つ目の意味は
「仏が3回目におこった」という実際のエピソードに当たるものになります。
ややこしいですが、二つ目の意味の方が、具体的な意味を持っている、
というイメージを持ってもらうとわかりやすいかもしれません。
二つ目の「コペルニクス的転回」の意味は
「認識が対象に依存するのではなく、対象が認識に依存する」
という意味です。
少し難しいですが「認識が対象に依存する」というのが「天動説」で
「対象が認識に依存する」というのが「地動説」と同じ役割です。
カントは
「対象が認識に依存する」
というこれまでとは全く新しい発想を生み出し、
これにコペルニクス的転回という名前をつけたわけです。
ただ、ここで皆さんに疑問が生まれたのではないでしょうか?
「対象が認識に依存する、の意味がわからん……」ですよね?
なので、ここからはこの意味を例を使って解説していきたいと思います。
コペルニクス的転回の例
例えば、目の前にリンゴという対象があって、
皆さんはそれを目で見たり、手で触ったり、食べたりして認識しています。
これは対象(リンゴ)があるから認識できてるのでしょうか?
もちろん、そうですよね。
リンゴがないのに認識なんかできないですよね。
でもそれはあなたが人間だからです。
犬や猫みたいにモノクロに近い世界を見ている動物にとって、
リンゴはリンゴではないかもしれません。
犬や猫にとって、赤いリンゴと黄色いミカンは同じもの、
という可能性もありますよね。
つまり、リンゴ(対象)は人間の世界にしか存在しないかも、
ということです。
なんなら、
人間の世界でもリンゴをリンゴとして認識していない可能性もあります。
まどろっこしい言い方をしてしまいましたが、
皆さんに理解してもらいたいのは、
「対象を認識できるのは、認識能力の範囲内での認識である」
ということです。
つまり、人間の認識の範囲を超えたリンゴがあっても、
僕たちはそれを認識することができません。
認識能力の範囲の中で認識できる
「赤くて丸くて、シャキシャキした甘い味のする物体」
を私たちは対象として捉えているのです。
カントはこれまでの思想とは違うこのような考え方を
「対象が認識に依存する」と表し「コペルニクス的転回」と
呼びました。
ここまでは「コペルニクス的転回」
という言葉にフォーカスして解説をしてきました。
ここからは、コペルニクス的転回という言葉を作ったカントという哲学者が
どんな哲学者だったのか?を簡単に紹介していきたいと思います。
コペルニクス的転回とパラダイムシフト
コペルニクス的転回と同じ意味で使われるのが、
「パラダイムシフト」という言葉です。
パラダイムというのは「典型」、
シフトは「変化する」という意味です。
つまり
「典型が変化する」
↓
「根底が変わる」
となり、コペルニクス的展開の1つ目の意味と同じになります。
カントが提唱したコペルニクス的転回
カントは18世紀に活躍したドイツ生まれの哲学者で、
名だたる数々の哲学者の中でも、かなり評価の高い哲学者です。
なぜなら、彼はかなりイケメンだからです。
男前というよりかは精悍(せいかん)な顔つきをしているタイプの
イケメンです。
冗談です。
個人的には冗談ではないのですが、
世間が見たカントが評価の高い理由を紹介します。
カントのすごいところ
コペルニクス転回の紹介でも何度もでてきたのですが「認識」という言葉。
これはカントのすごさを理解する上で欠かせない言葉となっています。
哲学には様々なジャンルがありその中でも「認識論」というジャンルは
かなり大きい範囲を占めています。
「認識論」というのは「知る」を追求する哲学のジャンルです。
例えば
「人間はどうやって知識を得るの?」
「正しく知るためにはするためにはどうすればいいの?」
「知ることができる範囲ってどこまでなの?」
などなど。
すごく難しそうですよね。
そして、カントが登場する前に
この認識論ジャンルで幅を聞かせていたのが、
「合理論」と「経験論」という2大派閥です。
ここでは、
合理論と経験論については紹介しませんが、
カントはこの二つの派閥の悪い部分を批判しつつ、
いい部分を組み合わせて、自分なりの「認識論」を作り出しました。
このカントなりの「認識論」というのが、
かなり評価が高いんですね。
まぁ、要は2つの派閥をまとめ上げたわけですから、
そりゃ哲学者としての評価はすごいですよね。
カントの性格
そんな哲学の歴史の中でえげつないことを成し遂げたカントですが、
かなりつつましい性格をしていたようです。
毎日時間通りに散歩をし、その時間が毎日同じすぎて、
周りの人はカントの散歩姿を見て、時計の時間をなおしたそうです。
食事も1日に一回しかとらず、
1人ではなく、みんなと喋るために会食形式にしていたそうです
ちなみに、カントはイケメンなのすが、
生涯独身だったらしいです。
きっちりしすぎて、
女性が近づきづらかったのかもしれません。
コペルニクス的転回のまとめ
では、最後に簡単にコペルニクス的転回をまとめておきます。
コペルニクス的転回
→常識を覆すような考え方の比喩
以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
Long time supporter, and thought I’d drop a comment.
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