こんにちは、素人哲学者 ミルマノ(@_mirumano_)です。
今回は「死ぬほどわかりやすく」シリーズです。
「国富論」を死ぬほどわかりやすく要約します。
ではさっそくいってみましょう!
国富論とは?
「国富論」の要約を一行にするとこうなります。
「世界の経済は利益を求める個人の活動によって発展する」
いかがでしょうか?
「なんだそんなこと知ってるよ、資本主義でしょ?」
と思われた方もいるかもしれません。
しかし、この本は、資本主義構造を始めて体系化したもです。
しかも哲学者によって。
というのも、国富論は1776年に出版されています。
しかし、それまでに資本主義どころか、世界の経済システムに対して、言及するような本はありませんでした。
そんななか、哲学者であるアダム・スミスが国富論を書き、資本主義思想の支柱となる経済構造を提唱しました。
それをきっかけに、経済学が確率されたとも言われています。
アダムスミスが哲学者であるにも関わらず、「近代経済学の父」と言われているのは、そのためです。
ここからは国富論を3つに分けて要約していきたいと思います!
国富論は全部で5篇あります。1篇と2篇は経済理論について、3篇では経済史について、4篇と5篇で経済政策について解説されています。
今回はその3つのジャンルごとに国富論が何を書いていたのかをわかりやすく要約していきます。
それでは行ってみましょう!!
国富論の「経済理論」
まずは1篇と2篇で書かれた「経済理論」からです。
この経済理論では労働生産性を上げることが、国民の豊かさを向上させるという前提が設定されています。
そして、その労働生産性を上げるために必要なのが「分業」だとアダムスミスは説きました。
この「分業」という言葉に関しては、何も難しい意味はありません。
みなさんがご存知の通り、作業を分担することです。
飲食店のバイトでも、キッチンとホールに別れてやりますよね。
自分で料理を作ってお客様の元まで持って行って、そのお皿を洗うとなれば、生産性が落ちるのは目に見えています。
そこで分業をすれば労働生産性が上がる、という当たり前のことをアダムスミスは国富論で書いています。
そんな単純なこと…
と思った方もいるかもしれません。
しかし、意外にも、この分業が労働生産性をあげる仕組みをロジカルに説明するのは難しいはずです。
だって、分業してもやること自体は変わりませんよね。
変わるのはある作業を専任する人がいるだけ。
アダムスミスは、ロジカルに労働生産性が上がるワケを3つあげています。
それがこちらの3つです。
1単純作業によるスキルアップ
→同じことをずっとしていたら、ずっとしていない人よりも上手になる
2作業変更の時間の短縮
→さっきのアルバイトの例を使いますが、料理を作り、お客様に配るとなると、その都度、お客様の席の確認など、処理しなければならない作業が増加する。
3アイデアの発生
→ある程度同じ作業を手がけることで、さらに効率的に処理するためのアイデアが浮かびやすくなる。
確かにロジカルですよね。
クラウドソーシングが普及していることを考えると、現在も分業自体が進化していることがわかります。
それぐらい、分業という考え方は生産を上げるための基盤となる考え方なのです。
国富論の「経済史」
続いて経済史です。
この部分は、後で解説する「経済政策」の序章みたいなものなので、さらっと説明します!
アダムスミスは、ローマ帝国没落後の経済発展を例に出して、効率のいい経済発展が行われていないことを指摘します。
国が豊かになっていく順番として、農業の発展→商業の発展という流れが必要であると、アダムスミスは言います。
農業で地盤を整えて、それを商業に発展させていく、というイメージです。
しかし、ローマ帝国の没落後の経済発展は、そうではありませんでした。
都市部の商業発展だけが進んだ状態で、政府が商業を重視するような政策をとっていたのです。
つまり都市部だけが経済発展し、それ以外の経済発展がストップしてしまった、というのがアダムスミスの意見です。
国富論の「経済政策」
そして、この当時、重商主義的な政策が取られていました。
重商主義とは「富を貴金属と捉える」ことです。
貴金属は簡単にいうとお金です。
国家は富を蓄えるためには、お金を持っていればいい、というような政策をとっていました。
具体的にはどういうことかというと、輸出はしてもいいけど輸入はしない方向に導く政策を行なっていたのです。
輸出をするということは、海外からお金が入るということです。
輸入をするということは自国からお金が出ていくということです。
つまり、重商主義的な考え富を増やすためには輸入はしてはいけないのです。
当たり前のことですが、そんなことでは国家は豊かにはなりません。
アダムスミスはその政策を批判し、政府が経済発展に介入しないことこそが国家の経済発展を促すことを提唱します。
その過程で彼は、富が何か?ということを定義しています。
アダムスミスが考えたのは「富=消費財」だということです。
つまり、輸入でモノを買うことは、お金を他国に流すことだが、消費財を国内に流入させることになるので、国内も豊かになるということ。
そのために政府は重商主義的政策は取る必要がないこと、最低限の政策さえあれば、貿易だけに限らず、国内の経済発展も促されるということを示しました。
それが、あの有名なフレーズである「見えざる手」です。
需要と供給のバランスは見えざる手によって支配されていて、経済がうまく回るシステムがすでにある、というものです。
すごく抽象的な話ですが、簡単な例を出すとこうなります。
あるお店Aは魚を100万円で売っていました→高すぎて需要がありません。
ここでお店Aは売るために値下げをして魚を1円で売ります→お客が殺到して魚の供給が追いつかない
↓
そこで、魚を五百円で売った結果、丁度いいくらいに儲けることができました。
こんな感じで、利益を出すための工夫をすることで経済は回っていくのです。
ここでは店Aしか例に出しませんでしたが、他に店があっても同じことです。
店が複数あれば、それぞれの利益をあげたいとい思いにより店同士が競争を行います。
そうすると生産性をあげて価格を安くするなどの工夫をしなければなりません。
このような流れが国を豊かにすると考えたわけです。
つまりどういうことかというと…
「利益を上げようとする心理に対して需要と供給が噛み合うシステムは政府が作らずとも存在していう」
→これをアダムスミスは見えざる手と考えたわけです。
国富論のまとめ
最後に簡単ですが、まとめておきたいと思います。
国富論とは「世界の経済は利益を求める個人の活動によって発展する」を体系化した本で3つに分けることができます。
その3つとは
1経済理論:
国を豊かにするためには労働生産性をあげる必要がある。そのためには分業がベスト
2経済史:
経済政策に対して政府が過剰な介入をすることはよくないことをローマ帝国没落後のヨーロッパ経済を例に出して証明
3経済政策:
政府は最低限の地盤さえ整えれば良い。あとは消費者と供給者の利己心により経済がうまく回るよになっている。
いかがだったでしょうか?
納得していただけたのなら嬉しいです。
では、今回はここまでにします。
最後まで読んでくださりありがとうございました!!